興福寺



興福寺

世界遺産「古都奈良の文化財」の一つとして登録されている法相宗大本山の寺院です。西国三十三所の第九番札所や阿修羅像で知られる寺院ですが、見所はそれらだけではなく、特に国宝仏像は全国の13%が興福寺の仏像です。平成30年10月には中金堂が落慶しました。

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興福寺

興福寺の歴史

天智天皇8年(669)に藤原鎌足が造立した釈迦三尊像を安置するために、夫人の鏡女王が京都山科の私邸に建立した「山階寺」を始まりとします。その後飛鳥厩坂の地に寺を移し「厩坂寺」と称しました。都が平城京へ遷都されるに及んで、和銅3年(710)に現在の地に移し「興福寺」と寺名が変わりました。その後天皇や皇后、また藤原氏の人々によって次々に堂塔が建てられ整備されました。奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられました。特に摂関家藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、時勢はますます盛んになりました。さらに春日社の実権を手中に収め、大和国を領するほどになり、また、鎌倉・室町時代には幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。

創建以来数々の火災の被害にあってきた興福寺ですが、とりわけ1180年の平重衡の南都焼討による被害は甚大で、東大寺とともに大半の伽藍が焼失しました。しかしその後復興し、現存の興福寺の建物はすべてこの火災以後のものです。

明治時代初めの神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで興福寺は荒れましたが、その後復興し、現在に至ります。

春日大社との関係

興福寺と春日大社は共に藤原氏が創建しました。藤原氏の氏神である「天児屋根命」を本殿の御祭神としてお祀りしていることから春日大社は藤原氏の氏神とされ、藤原氏の氏寺である興福寺との関係が深くなり、神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていきました。

813年(弘仁4年)藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音が、春日大社の祭神・武甕槌命の本地仏とされています。

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春日大社



伽藍

興福寺の主要伽藍は各ページにて紹介しています。

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中金堂(興福寺)

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東金堂(興福寺)

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五重塔(興福寺)

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南円堂(興福寺)

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北円堂(興福寺)

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三重塔(興福寺)

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国宝館(興福寺)

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仮講堂(興福寺)

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菩提院大御堂(興福寺)



年中行事

1月2日 春日社参式
2月3日 18時半〜 追儺会節分行事
2月15日 涅槃会
3月5日 三蔵会
4月8日 仏生会
4月17日 放生会
4月25日 文殊会
5月第3金・土曜日 薪御能
7月7日 弁財天供
10月第1土曜 17時〜 塔影能
10月17日 大般若経転読法要(南円堂開扉)
11月13日 19時〜 慈恩会(会場は薬師寺と隔年)
12月31日 除夜の鐘

近くのおすすめスポット

【元興寺】

蘇我馬子が6世紀末、飛鳥に建立した日本最古の本格的寺院「法興寺(飛鳥寺)」が平城遷都に伴って現在の地に移転し元興寺と改めました。奈良時代には現在のならまち全域に及ぶ寺域を誇っていましたが衰退し、現在ではその殆どを失いました。

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元興寺

【采女神社】

猿沢池畔に鎮座する神社で、春日大社の境外末社です。例祭を除き、普段は閉められている神社ですから多くの人は未参拝の神社かもしれません。しかし例祭「采女祭」の際には開いておりどなたでも参拝することができます。

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采女神社

アクセス

<住所> 奈良県奈良市登大路町48

<電話> 0742-22-7755

<駐車場> 有料駐車場あり

<拝観時間> 9:00〜17:00(受付は16:45まで)

<拝観料>
中金堂 500円
東金堂 300円
国宝館 700円
共通券(東金堂+国宝館)900円

電車をご利用の場合
近鉄奈良駅より徒歩5分
JR奈良駅より徒歩15分



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