興福寺の礎石



興福寺の礎石

平成30年には中金堂再建がされた興福寺ですが、境内にはまだ再建されていない礎石があります。多くの人は普段気にしないであろう礎石に今回はピックアップします。

西金堂跡

興福寺には現在東金堂と中金堂が存在しますが、かつては西金堂も存在していました。西金堂は、天平6年(734)、光明皇后が生母、橘三千代の一周忌の追善供養のため建立しました。堂内には本尊釈迦如来像、薬王・薬上菩薩像、梵天・帝釈天像、十大弟子像、八部衆像、金剛力士像、四天王像などが安置されていました。有名な阿修羅像も西金堂の仏像です。

お堂の規模は対となる東金堂とほぼ同じで正面7間(約26m)、側面4間(約14m)、寄棟造りであったと考えられています。

創建以来、平安時代に2回、鎌倉時代に1回被災し、その都度再建されましたが、江戸時代の享保1年(1717)、講堂からの出火によって中金堂や南円堂と共に被災したのを最後に再建されず現在に至ります。

中門・回廊跡

中金堂の周りを囲む礎石は中門と回廊跡です。中門は、東西5間(23m)、南北2間(8.4m)、単層で屋根は切妻造りの建物で、正面3間が扉だったと推定されています。

中金堂が再建され、将来的には中門と回廊も再建が考えられているようで、今後に期待したい部分と再建の際には私たちの写経等の協力も忘れずにしたいところです。

南大門跡

三条通りに面しているところにある礎石は南大門跡です。境内でいうと中門跡のすぐ前になります。南大門跡は境内の史跡では唯一、年中行事に使用されている場所であり、5月の薪御能の舞台や12月のおん祭りでは南大門交名の儀で僧兵が並びます。

南大門は創建以来7度も被災していますが、享保2年(1717)の焼失以後再建はされず現在に至ります。

古地図や調査などにより大きさはほぼ特定され、桁行5間×梁行2間で、東西23.4m(78尺)、南北9m(30尺)になります。柱間寸法は、桁行の中央3間が4.8m(16尺)等間、両端の1間が4.5m(15尺)、梁行は4.5m(15尺)、入母屋重層5間3戸とされています。

平城宮跡朱雀門より僅かに小さい感じと言えばイメージしやすいでしょうか。

【おん祭 南大門交名の儀】・・・古来お渡り式は興福寺内を出発して一の鳥居迄を下の渡り、一の鳥居よりお旅所迄を上の渡りと称している。下の渡りの中心的な行事がこの交名です。祭礼の主催権を持つ興福寺への敬意を表し、お渡り式に遺漏が無いかを改める式です。僧兵の格好をした興福寺の僧侶が南大門跡に座している姿は圧巻です。

興福寺とは

世界遺産「古都奈良の文化財」の一つとして登録されている法相宗大本山の寺院です。西国三十三所の第九番札所や阿修羅像で知られる寺院ですが、見所はそれらだけではなく、特に国宝仏像は全国の13%が興福寺の仏像です。平成30年10月には中金堂が落慶しました。

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興福寺

主要伽藍

興福寺の主要伽藍は各ページにて紹介しています。

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中金堂(興福寺)

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東金堂(興福寺)

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五重塔(興福寺)

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南円堂(興福寺)

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北円堂(興福寺)

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三重塔(興福寺)

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国宝館(興福寺)

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仮講堂(興福寺)

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菩提院大御堂(興福寺)



近くのおすすめスポット

【元興寺】

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元興寺

【采女神社】

猿沢池畔に鎮座する神社で、春日大社の境外末社です。例祭を除き、普段は閉められている神社ですから多くの人は未参拝の神社かもしれません。しかし例祭「采女祭」の際には開いておりどなたでも参拝することができます。

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采女神社

アクセス

<住所> 奈良県奈良市登大路町48

<電話> 0742-22-7755

<駐車場> 有料駐車場あり

<拝観時間> 9:00〜17:00(受付は16:45まで)

<拝観料>
中金堂 500円
東金堂 300円
国宝館 700円
共通券(東金堂+国宝館)900円

<HP> https://www.kohfukuji.com

電車をご利用の場合
近鉄奈良駅より徒歩5分
JR奈良駅より徒歩15分



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