興福院



興福院

基本的に一般公開されていない、知る人ぞ知る寺院です。山号は法蓮山、浄土宗の尼寺です。大門を抜けると客殿、庭園、本堂、御霊殿と想像以上に広い境内で、とても落ち着いた空間が広がります。拝観希望者は予約をする必要があります。

御朱印はこちら→興福院御朱印

歴史

佐保山陵の南端に位置する尼寺で、創建時は現在の近鉄尼ヶ辻駅の近くにありました。中世以前の歴史は不明ですが、寺伝には、聖武天皇の御学問所を天平勝宝年間に和気清麻呂が賜り、弘文院と称する一族の学校とした跡でもあると言われています。しかし平安時代末の『七大寺日記』などには藤原不比等の孫である藤原百川の建立とあり、西大寺の南に位置して「興福院」と呼ばれていたこと、本尊は丈六の金銅薬師如来像(当寺は阿弥陀如来)であったことが伺えます。

中世に衰退していた興福院ですが、安土桃山時代に大和郡山城主であった筒井順慶の一族、自慶院栄譽心慶尼によって再興が始まります。その後大和郡山城主となった豊臣秀吉の弟、大和大納言豊臣秀長から寺領200石の寄進を受け、復興しました。

江戸時代には徳川家光から再び寺領200石を寄進され、本堂、客殿、大門はこの頃の建立です。徳川家綱の代に現在地の法蓮町に移転し現在に至ります。



本尊・阿弥陀三尊像

阿弥陀三尊像(重要文化財)天平時代

木心乾漆造 漆箔 増高:中尊・89.1cm、右尊・76.1cm、左尊・75.4cm

創建時の本尊は薬師如来像とされていますが、現本尊は阿弥陀如来坐像です。近世の復興時に本尊として迎えられたと推定されており、それ以前はどこに安置されていたかは不明です。

中尊の阿弥陀如来坐像は、親指と薬指で輪を作る下品中生の印相をした珍しい仏像です。近世の漆箔や修復等により造像当時の姿からは変容していますが、木を掘り出して形作った頭部や体部に木屎漆を重ねて細部まで仕上げていく技法は奈良時代後半によく用いられた技法です。また豊かな衣紋の表現にも、奈良時代後半から平安時代初期にかけての特徴がみれます。※画像はHPより引用

客殿

客殿(重要文化財)江戸時代

桁行13.9m 梁間10.1m 入母屋造 檜皮葺

客殿は寛永19年(1642)建立の本堂とほぼ同じ頃に旧地に建てられ、その後現在地に移築されました。桁行6間半、梁間4間半、東西2列に3室ずつ6間が並びます。大玄関は移築後の増築です。床や書院、仏間など、禅宗寺院の方丈風の間取りを呈しています。

襖絵は狩野派、大和絵、琳派の流れを汲む渡辺始興筆です。



庭園

江戸時代初期

興福院の庭園は三代将軍 徳川家光公の寄進を受け、建築家、庭園家である小堀遠江守政一が手掛けました。その後現在地へ移された際にいわゆる“遠州好み”として新しく作庭されました。庭園は客殿をL字型に囲うように設けられました。

御霊屋

御霊屋(県指定文化財)江戸時代

桁行3間 梁間3間 入母屋造 向拝1間 本瓦葺

御霊屋(おたまや)は、代々の徳川将軍の御位牌を祀る霊廟です。門や御霊屋の鬼瓦にも、徳川家の三つ葉葵の御紋が用いられています。霊廟内には渡辺始興が描いた襖絵があります。

その他境内の様子

本堂、客殿、御霊屋意外にも境内には薬師堂や大門、宝印塔などがあります。伽藍は佐保山の丘陵地に立地し、本堂からは奈良の街並みが一望できます。

大門

薬師堂

梵鐘

宝印塔



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【佐保山南陵】

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アクセス

<住所> 奈良県奈良市法蓮町881

<電話> 0742-22-2890

<拝観時間> 9:00〜16:00(予約制:1・2・8月は拝観不可)

<拝観料> 大人:1,000円 中高生:500円 小学生以下:無料

<駐車場> 無料駐車場あり(8台)

電車・バスでお越しの場合
近鉄奈良駅より白土町行バス14分「佐保小学校前」下車 徒歩5分
近鉄奈良駅より徒歩20分



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