信貴山城址
信貴山城址
標高437mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、奈良県下最大規模を有する中世城郭です。空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡です。
現在は跡地のみで天守閣はありません。
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歴史
信貴山城の正確な歴史はわかっておらず、南北朝時代に楠木正成によって築城されたという伝承も存在しますが、裏付けがされていません。
『経覚私要抄』には、長禄4年(1460)、応仁の乱で戦闘に敗れた畠山義就が「信貴山」に陣を退いたと記されており、史料としてはこれが初見とされています。
その後、木沢長政が本格的に築城しており、『細川両家記』天文五年 (1536)において「信貴城」の使用が確認できます。しかし、木沢長政が天文11年(1542)3月太平寺の戦いで敗死すると信貴山城は二上山城と共に落城しました。
落城から約20年後の永禄3年(1560年)に、大和国を制圧した松永久秀は、信貴山城を選んで大和支配の拠点としました。久秀は多聞山城も築城し、多聞山城は政治目的、信貴山城は軍事目的と異なった目的でそれぞれを使用しました。
しかし天正5年(1577)、信長に謀反を起こした久秀は信貴山城に籠城。織田信長に攻められ松永氏滅亡、信貴山城は廃城となりました。
松永屋敷跡
『信貴山古城図』(江戸時代)によれば、城跡の北側には「松永屋敷」と記載があります。尾根を大規模に造成して平坦地を造り、土塁などで防御、東側には複数の門跡を配しています。
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朝護孫子寺について
信貴山城の一帯は朝護孫子寺の境内です。現在では基本的に信貴山朝護孫子寺から登山して城跡へ向かいます。当寺は張り子の寅で知られ、漫画のルーツとされる国宝:信貴山縁起絵巻や真っ暗な道を歩く「戒壇巡り」でも知られます。
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近くのおすすめスポット
【アベノ日本一ラーメン】
朝護孫子寺の山門から数十メートルほどにある「アベノ日本一ラーメン」です。こちらでは絶品の「牛すじカレーラーメン」がいただけます。もちろんメニューはそれだけでなく醤油ラーメン、塩ラーメンなども用意しており、信貴山参詣者が多く立ち寄ります。
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【曽我乃家本店】
信貴山の山門から数十メートルのところにある曽我乃家本店です。信貴山名物とも言える「寅まんじゅう」は特に大人気で、参詣者の多くがお土産に購入しています。また饅頭を食べながら広い境内を散策する方も多く、手軽に食べられるのも魅力的です。
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【お食事処 松月】
開運橋を渡ったところにある創業80年の老舗料理店です。「名物 山菜いなりずし」は特に有名でお土産にも大変人気です。伝統的な内装と信貴山の景色を眺めながら、お食事を堪能できます。
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アクセス
<住所>
<駐車場> 有料駐車場あり(朝護孫子寺にて)