談山神社

春と秋の「けまり祭」や紅葉の名所として知られる談山神社は明日香村を見下ろす山の上に鎮座しています。神仏習合を代表するこの神社は初めて来た人にはお寺のように感じるかもしれません。お堂のような建物や十三重塔となど神社らしくない建物ばかりありますが、「大化改新」で有名な藤原鎌足公を祀る奈良県を代表する神社です。

御朱印はこちら→談山神社御朱印

談山神社の歴史

中臣鎌足の死後の678年、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父である鎌足の墓を阿武山古墳からこの多武峰の地に移し、十三重塔を造立したのが発祥だとされています。680年に講堂(現在の拝殿)が創建され、十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂(現在の本殿)が建立されました。談山神社の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行い、後に「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼んだことによるとされています。

御祭神:藤原鎌足公

談山神社の御祭神である藤原鎌足とは一般的に中臣鎌足としても知られています。蘇我氏による独裁勢力になりつつあった鎌足公は中大兄皇子(天智天皇)と共に多武峰(とうのみね)の山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。 後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりとなりました。鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家となるため、一生涯を国政に尽くしました。没後この地に墓を移し、御祭神として祀られました。

画像は鎌足公御神像

大化改新

645年(大化1)の蘇我氏の打倒に始まる一連の内政改革のこと指します。中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足らを中核にしたクーデターが成功し、権力を握っていた蘇我蝦夷・入鹿父子が打倒されました。これを乙巳の変と呼びますが、これを発端にして650年(白雉1)ごろまでの内政改革を大化改新とよんでいます。その後中大兄皇子は皇太子になり、年号を大化と定め,難波遷都が定められました。

けまり祭

今から凡そ1400年前、中国から伝わったと言われ、 中大兄皇子と藤原鎌足が飛鳥の法興寺(現・飛鳥寺)で蹴ったのが最初とされています。藤原鎌足公が飛鳥法興寺の蹴鞠会(けまりえ)において中大兄皇子とはじめてまみえ、「大化改新」の発端となった故事にちなんで行われる祭です。

けまり祭開催日
春のけまり祭 4月29日(昭和の日)
秋のけまり祭 11月3日(文化の日)

秘仏:談峯如意輪観音菩薩坐像

如意輪観世音菩薩 制作年代:鎌倉時代

この仏像には「譚峰如意輪観世音菩薩記」という江戸時代の本に霊験譚が三つ 記されています。 その一、九條兼実が夢の中にこの仏像を見て、出世を祈ったところ後に太政大臣にまでのぼりつめました。 その二、脚に膿がたまり歩けなかった子供が、仏像に祈るとたちどころに治り、仏像の同じ箇所がえぐれていました。 その三、仏像を安置していたお堂が火災に遭ったとき、自分でお堂から出てきたとされています。

如意輪観音像公開期間
6月1日〜7月31日

十三重塔

室町時代(重要文化財 )

藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等に よって西暦678年に建立されました。 現存の塔は、享禄5年 (1532)の再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。 唐の清涼山宝池院の塔 を模して建てられたと伝えられています。 高さは約17メー トルあり、屋根は伝統的な檜皮葺きです。 神仏混淆時代の名残であると同時に、談山神社のシンボル的な存在です。

紅葉の名所

3000本の楓が美しく赤に染まり「関西の日光」とも称される談山神社は、奈良県内屈指の紅葉の名所として秋には大勢の人が訪れます。

紅葉の見頃

紅葉の見頃は例年11月中旬~12月上旬。11月中旬から下旬にかけては、紅葉の夜間ライトアップも行われます。

アクセス

<住所> 奈良県桜井市多武峰319

<電話> 0744-49-0001

<営業時間> 8:30~16:30

<駐車場> 無料駐車場あり

電車をご利用の場合

京都方面からお越しの際は、近鉄京都線 大和八木駅で乗り換えになります。
近鉄大阪線・JR桜井線にて桜井駅下車。
桜井駅南口より談山神社行(または多武峰行)バス、タクシーなどで神社までお越し下さい。