山田寺跡



山田寺跡

説明板

観音堂(拝観不可)

桜井市にある史跡「山田寺跡」です。山田寺と飛鳥時代に建立された初期仏教寺院です。その後明治の廃仏毀釈で廃寺となり、明治25年(1892年)に再興されました。現在は無住で講堂跡付近に観音堂と庫裏が建つのみとなっています。

歴史

山田寺は、飛鳥時代の右大臣・蘇我倉山田石川麻呂が発願した、日本最古級の寺院のひとつです。記録では641年に着工し、その2年後に金堂が建立したものの、649年に石川麻呂が自殺した為に一時造営は中断されていました。しかしその後再開し、676年には塔が、685年には現在は興福寺で安置される銅造仏頭(国宝)の開眼供養が行われました。

平安時代、藤原道長が訪れた際には言葉で言い表せないほどの壮麗だったと『扶桑略記』に記されています。しかし平安時代末期の『多武峰略記』によると、当時の山田寺は多武峰寺(現・談山神社)の末寺となり、伽藍は荒廃して、一部建物は跡地になっていました。

明治時代に廃仏毀釈により荒廃し、再建されることなく、現在は無住の寺院です。

1975年の発掘調査にて東西118m、南北185mの寺域に南から南大門・中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置と似ています。

興福寺についてはこちら↓↓

興福寺



礎石

【金堂と礼拝石】

山田寺の中枢部分である金堂跡です。発掘の結果金堂の基壇は東西21.6m、南北18.4m、高さ2mの規模で周囲には板石を敷き詰めた犬走りがめぐっていたことが判明しています。また、塔と金堂を結ぶ直線上に石灯籠の台石が、また金堂南面では「礼拝石」と考えられる板石が発見されています。

【東面回廊】

東面回廊跡

復元された東面回廊

山田寺では塔と金堂などがある中心区画の四隅を回廊で囲んでいました。発掘調査では、建物全体が屋根瓦もろとも西向きに倒れた状態で発見されました。蓮弁を彫刻した礎石や基壇の縁石はほぼ完全に残っており、東面回廊は南北86,9m、幅6,4mの規模であったことが判明しました。現在は飛鳥資料館で復元された回廊が展示されています。

【宝蔵】

この場所の発掘調査で四個四列に並んだ礎石が見つかり、高床の蔵のような建物があったことが判明しています。また仏具などが出土していることから、この建物は仏具などを納める「宝蔵」であったと考えられています。

飛鳥資料館

近くにある飛鳥資料館の第二展示室では山田寺跡の出土品や発掘調査などを展示しています。

展示室には山田寺跡で発掘された東回廊を組み立てて展示しています。この東回廊は現存する世界最古の木造建築物である法隆寺よりも古いとされ、2007年に重要文化財に指定されました。展示室では発見された東回廊の一部を使用し、残り部分を補完したことにより当時の山田寺東回廊を完全復元しています。

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飛鳥資料館

アクセス

<住所> 奈良県桜井市山田1258

<電話> 0744-48-3110

<駐車場> 無料駐車場あり

電車・バスでお越しの場合
桜井駅下車→奈良交通バス
桜井駅・南口2番のりば[石舞台行き]⇒山田寺下車
※バスの運行本数が少ないのでご注意ください



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