久米寺
久米寺
橿原神宮のほど近くにある寺院で、聖徳太子の弟・来目皇子(くめのみこ)、または久米仙人による開基とされる県内屈指の古寺です。毎年5月3日に行われる練り供養「久米レンゾ」は有名です。また真言宗発祥の地としても知られ、日本仏教において極めて重要な寺院です。
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歴史
白鳳時代の創建と考えられていますが、開基については曖昧で、『和州久米寺流記』には来目皇子の開基を伝える説と、『扶桑略記』『七大寺巡礼私記』では当寺を久米仙人の開基とする説が混在しています。しかし現在では、当時の権力者である久米氏の氏寺として創建されたとする説が有力です。境内には塔の礎石が、また出土する瓦から見ても、創建は白鳳時代と推定されています。
平安時代、空海は久米寺の塔において真言宗の根本経典の1つである『大日経』を感得したとされており、このことから真言宗発祥の地として知られます。
久米仙人伝説
久米仙人像
『今昔物語』『七大寺巡礼私記』によると、久米仙人は欽明天皇の時代に大和国・葛城の地に生まれました。やがて神通力を得て自由自在に空を飛べるようになるなど、さまざまな奇跡を起こしますが、ある日、飛行中に川で洗濯をしている美女のふくらはぎに目がくらんで神通力を失い、墜落してしまいます。久米仙人はその女とめでたく結婚し、一般人として暮らしますが、天皇が遷都を行うことになり、久米仙人は遷都のための材木を運ぶ仕事をしていました。ある日仕事仲間から「お前も仙人なら、仙術を使って材木など一気に運んでしまったらどうだ」とからかわれたことがきっかけで、7日7晩祈り続けた後、仙力を回復します。山にあった材木が次々と空へ飛び上がり、新都へと飛んで行きました。これを喜んだ天皇は久米仙人に免田30町を与え、これによって建てたのが久米寺だとされています。
境内の様子
【本堂】
寛文3年(1663年)に建立されています。堂内には本尊・薬師如来像が安置されます。来目皇子が幼少の頃眼病を患い両目を失明しましたが、聖徳太子のお告げにより薬師如来に祈願したところ平癒したと言われています。これにより皇子は、自らを来目皇子と称したということです。創建のきっかけは、推古天皇の眼病全快のお礼だったと言われ、本尊の薬師如来は、眼病に効くと言われました。
【多宝塔】
重要文化財 江戸時代初期
雷火で消失した当初の塔の代わりとして、 万治2年(1659年)京都仁和寺から移築され、1985年(昭和60)の解体修理時に現在の場所に移されました。桃山様式を残す当寺のシンボルとして聳えます。
【久米御縣神社】
山門から少し進んだところに鎮座する神社で、正式には境内外にあります。創建年などは不明ですが、『日本書紀』によると創建は垂仁天皇時代と考えられます。久米氏の衰退とともに当社も衰微したが、隣接して久米寺が創建され、その鎮守社として再建されました。明治の廃仏毀釈により久米寺と分離され、明治中期に久米御縣神社に改称しました。
【その他境内の様子】
大塔礎石
大師堂
観音堂
金刀比羅宮
大日如来像
厄力地蔵
あじさい園
久米寺では毎年6月〜7月にかけてアジサイ園が公開されるなどアジサイの寺として知られます。アジサイ園は400円の入園料が必要です。
年中行事
久米寺最大の行事として毎年5月3日(15時〜)に練り法要(久米レンゾ)が行われます。練り供養といえば當麻寺や大念仏寺(大阪府)が有名ですが、こちらでも毎年行われている伝統行事です。少しマイナーな為か比較的空いています。
近くのおすすめスポット
【橿原神宮】
神武天皇陵の隣に鎮座する神武天皇を御祭神とする神社です。明治時代に橿原宮跡に創建されました。建国記念日に行われる「紀元祭」には多くの人が訪れます。
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【神武天皇陵】
正式名は「畝傍山東北陵」。初代神武天皇の陵墓です。畝傍山の北東の麓、橿原神宮に北接する神武天皇陵は、円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。
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アクセス
<住所> 奈良県橿原市久米町502
<電話> 0744-27-2470
<拝観時間> 9:00〜17:00
<拝観料> 本堂400円、アジサイ園400円
<駐車場> 無料駐車場あり(10台)
電車でお越しの場合
近鉄 橿原神宮前駅 徒歩5分