世尊寺



世尊寺

聖徳太子が建立したとされる国内最古級の寺院です。創建時から同じ場所にありながら寺名を5度も変え、境内には創建時の礎石が残り、当時を偲ばせます。また彼岸花の名所として開花時には多くの人が訪れます。

御朱印はこちら→世尊寺御朱印

歴史

古くは、吉野寺、比蘇(比曽)寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれ、聖徳太子が建立した48か寺の一つと伝えられています。

「日本書紀」に欽明天皇14年(553)、天皇が河内の海に流れ着いて放光の樟で造らせた仏像がこの寺に安置されたとあり、「日本霊異記」「聖徳太子伝暦」には、もう少し後に帰化人漢氏の一族や百済工に、この仏像を造らせたと記載されています。

寺跡から出土する古瓦によると、少なくとも飛鳥時代に堂塔が建てられ、その後東西両塔・金堂・講堂(現本堂の位置)を備えた薬師寺式の伽藍配置が完成したと思われます。

そして奈良時代には、吉野寺・比曽山寺と呼ばれ、上記の伝承を持つ仏像が安置されていました。同時にこの時代には、有名な神叡唐道慈が住み、平安時代には清和天皇・宇多上皇や藤原道長もこの寺で礼仏するほど時勢は栄え、現光寺と呼ばれましたが、その後衰え鎌倉時代に再建された東塔は、文禄3年(1597)秀吉によって伏見城に移され、さらに慶長6年(1601)家康が近江の円城寺(三井寺)に移建しました。同寺にある三重塔は当寺の三重塔です。

江戸時代に、寺名を現在の世尊寺と改めてました。



十一面観音像

十一面観音立像(奈良県指定文化財)

木造、像高:2.18m、制作年代:奈良時代(一部後補)

木造の十一面観音としては、吉野地域で最も古い仏像で、8世紀に造立されたと推定されています。頭部や腕が鎌倉時代と江戸時代の補作ということが仏像内の納入品の調査で判明しました。

推古天皇3年(595)、淡路島に香木・沈水香(じんすいこう)が流れ着き、天皇がその香木で観音像を造らせたと伝わります。吉野の比曽寺に祀った様子が『聖徳太子伝暦』などにも見られ、この仏像では?と思われますが、調査の結果、造立年代が上記の8世紀だとされているため、推古朝の仏像ではありません。

阿弥陀如来像

阿弥陀如来坐像

クスの一木造り、像高:145cm、制作年代6世紀(伝承)

世尊寺の本尊です。別名を「放光樟像」と言います。伝来によると、日本書紀の欽明天皇14年(553年)、大阪湾の海中に雷のような音を出して光り輝いていた樟(クス)の大木があり、そこから仏像2体を彫らせたとされています。平安時代の「日本霊異記」には、飛鳥の豊浦寺に霊木から造った仏像を安置するも、物部氏・蘇我氏の争いからお堂は焼失し、当寺へ移されました。

法隆寺釈迦三尊像などに見られる飛鳥仏の特徴「アルカイックスマイル」が見られることから6世紀の仏像とされるのも満更でもない気がします。



太子堂

奈良県指定文化財

その名の通り、聖徳太子像を本尊として建立されたお堂です。太子十六歳像が安置されています。建立年代については定かではありませんが、18世紀頃と考えられています。仏壇部を角屋として突出させる形式は、県内でもあまり例を見ないものであり興味深い建築とされ県の文化財に指定されました。

史蹟・比曽寺跡

世尊寺の境内にはかつての比曽寺の礎石が残ります。中門前に東西両塔の跡が残り、現在の薬師寺と同じような伽藍配置だったと推測されます。

彼岸花

世尊寺は彼岸花の名所として開花時には多くの人が訪れます。



近くのおすすめスポット

【吉野神宮】

当寺から車で15分ほどにある神社です。奈良県で「神宮」の称号は石上神宮橿原神宮とこの吉野神宮だけです。比較的新しい神社ではありますが、吉野の名に恥じぬ桜の名所と知られます。

詳しくはこちら→吉野神宮

アクセス

<住所> 

<電話> 0746-32-5976

<拝観時間> 9:00~17:00

<拝観料> 入山料:100円、拝観料:300円

<駐車場> 無料駐車場あり

電車でお越しの場合
近鉄六田駅・近鉄大和上市駅から奈良交通バス「比曽口」下車、徒歩15分



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