牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳(けんごしづか)は明日香村にある古墳時代末期の古墳(八角形墳)で、別名「御前塚」「あさがお塚古墳」と呼ばれています。築造年代については出土遺物等から7世紀後半頃と考えられ、被葬者については古代天皇家墳墓の象徴である八角形の墳丘や古墳の立地や歯牙等から斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考える説が有力です。近年整備作業が行われ、古墳の表面は築造当初のように凝灰岩の石材で覆われ、発掘成果を踏まえて八角形の3段造りの姿に整備されました。
【古墳データ】
規模:墳丘対辺長約22m
形状:八角墳
内部施設:横口式石槨
内部施設規模:幅1.41m、高さ1.01m、長さ0.63m
築造時期:7世紀後半
被葬者:第37代斉明天皇、間人皇女(一説)
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石室と被葬者について
石室には、ひつぎを納めるスペースが2つあり、この古墳のすぐ脇には、同じ時期の別の古墳(越塚御門古墳)が設けられています。
日本書紀には天智天皇6年、667年に、「斉明天皇と間人皇女を合葬した陵の前に、大田皇女を埋葬した」と記載されています。宮内庁が指定する斉明天皇陵は高市郡高取町ありますが、発掘調査の結果や文献などから、牽牛子塚古墳は斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考える説が有力です。
しかし現段階(令和4年3月)で宮内庁では斉明天皇陵「越智崗上陵(おちのおかのえのみささぎ)」の候補地として牽牛子塚古墳が有力であるとする説があることを認めながらも、墓誌(墓地に埋葬されている故人の没年月日や戒名、本名等を彫刻してある石板)など確実なものが発見されない限りは陵墓治定を見直す必要はないとしています。
出土品
出土遺物については夾紵棺片(きょうちょかんへん)や七宝亀甲形座金具、ガラス玉等があり、夾紵棺の一部や閉塞石の内扉は明日香村埋蔵文化財展示室で常設展示されています。築造年代についてはこれら出土遺物等から7世紀後半頃と考えられます。
これら出土品は一括して「大和国高市郡牽牛子塚古墳出土品」として重要文化財に指定されています。
※牽牛子塚古墳では出土品を見ることはできません。
近くのおすすめスポット
【越塚御門古墳】
越塚御門古墳(こしつかごもん)は7世紀後半に造られた古墳で、牽牛子塚古墳の南東側に築かれました。発掘調査の結果から一辺約10mの方墳と判明し、埋葬施設(墓室)は石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)の巨石を刳り抜いた蓋石と床石から構成されています。
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【岩屋山古墳】
岩屋山古墳は、7世紀に造られた一辺約40m、高さ12mの2段築成の方墳と推定されています。現在では墳丘の西半分は失っています。切石加工を施した巨石を使用した横穴式石室があり、これは石室の編年の指標の1つとなっています。
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【真弓鑵子塚】
真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳は6世紀後半に造られた、舌状に伸びる丘陵の先端に築かれた直径約40m、高さ約8m以上の二段築成の円墳です。埋葬施設は南に開口する右片袖式の穹窿状(ドーム型)横穴式石室で、玄室の北側に奥室を有しています。
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アクセス
<住所> 奈良県高市郡明日香村越131
<見学料> 無料
<見学時間> 24時間可能
<駐車場> 現地駐車場なし(道の駅飛鳥駅、またはアグリステーション飛鳥の駐車場は可)
電車でお越しの場合
近鉄吉野線・飛鳥駅から徒歩15分