史跡 マルコ山古墳
マルコ山古墳
明日香村の真弓丘と称される丘陵に築造された7世紀末後半~古墳時代終末期です。墳丘の対角長24m、高さ4.5mほどの多角形墳であり、その周囲に外周(直径24m)となる外部施設(石敷き)には排水施設を備えています。被葬者は天武天皇の皇子説がありますが、正確な被葬者は不明です。規模、構造が高松塚古墳やキトラ古墳と似ています。
【古墳データ】
規模:対角長約24m、高さ4.5m
形状:多角形墳
内部施設:横穴式石室
築造時期:7世紀末後半~古墳時代終末期
被葬者:天武天皇の皇子(一説)
内部の様子と被葬者について
墳丘は版築(土を層状につき固めて壁などを作る方法)で築かれていて凝灰岩の切石で作られた横穴式石室があります。 南に向かって石室が開口しています。床を含む内壁には漆喰がぬられており、これは高松塚古墳やキトラ古墳と同様な構造をしていますが 、壁画はありません。
出土品として、漆塗木棺(乾漆棺)の破片、釘、金銅製六花形棺飾金具、大刀金具、30歳代と思われる男性の人骨があります。
被葬者については上記の出土品などから皇族が被葬者だと考えられており、特に天智天皇皇子、川島皇子との説が有力です。
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古墳時代末期の古墳(八角形墳)で、別名「御前塚」「あさがお塚古墳」と呼ばれています。築造年代については出土遺物等から7世紀後半頃と考えられ、被葬者は斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考えられています。令和4年3月に整備が完了し、当時を思わせる白く美しい姿となりました。
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アクセス
<住所> 奈良県高市郡明日香村大字真弓
<駐車場> なし
電車でお越しの場合
近鉄吉野線飛鳥駅より徒歩16分