史跡 岩屋山古墳
岩屋山古墳
岩屋山古墳は、7世紀(古墳時代末期)に造られた一辺約40m、高さ12mの2段築成の方墳と推定されています。現在では墳丘の西半分は失っています。切石加工を施した巨石を使用した横穴式石室があり、これは石室の編年の指標の1つとなっています。昭和43年(1968)に国の史跡に指定されました。
【古墳データ】
規模:一辺約54m、高さ12m
形状:2段築成の方墳
内部施設:横穴式石室
内部施設規模:全長17.78m
玄室長4.86m、幅約1.8m、高さ約3m
羨道長約13m、幅約2m、高さ約2m
築造時期:7世紀前半
被葬者:斉明天皇や吉備姫王等(諸説あり)
内部の様子と被葬者について
埋葬施設については石英閃緑岩(飛鳥石)の切石を用いた南に開口する両袖式の横穴式石室です。規模は全長17.78m、玄室長4.86m、幅約1.8m、高さ約3mで羨道長約13m、幅約2m、高さ約2mを測ります。
壁面構成については玄室が2石積みで奥壁上下各1石、側石上段各2石、下段各3石で羨道部分は玄門側が1石積みで羨門側が2石積みとなっています。
天井石については玄室1石、羨道5石で構成されています。
このような構造をした石室は岩屋山式と呼ばれており、奈良県内では小谷古墳(橿原市)や峯塚古墳(天理市)等でも確認されています。
石室内からは土師器・須恵器・瓦器・陶磁器・古銭等が出土しており、出土品により築造年代については7世紀前半頃と考えられます。
被葬者については斉明天皇や吉備姫王等が考えられていますが、正確な被葬者については不明です。
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古墳時代末期の古墳(八角形墳)で、別名「御前塚」「あさがお塚古墳」と呼ばれています。築造年代については出土遺物等から7世紀後半頃と考えられ、被葬者は斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考えられています。令和4年3月に整備が完了し、当時を思わせる白く美しい姿となりました。
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アクセス
<住所> 奈良県高市郡明日香村越41
<駐車場> なし
電車でお越しの場合
近鉄吉野線飛鳥駅から徒歩3分