真弓鑵子塚古墳
真弓鑵子塚古墳
真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳は6世紀後半に造られた、舌状に伸びる丘陵の先端に築かれた直径約40m、高さ約8m以上の二段築成の円墳です。埋葬施設は南に開口する右片袖式の穹窿状(ドーム型)横穴式石室で、玄室の北側に奥室を有しています。
出土物に関しては土師器(ミニチュア炊飯具)、須恵器、馬具類、武具類、装身具(ガラス玉)などがあります。
【古墳データ】
規模:直径約40m、高さ約8m以上
形状:二段築成の円墳
内部施設:横穴式石室
内部施設規模:全長17.8m
玄室長6.5m、幅4.3m、高さ4.3m
羨道長6.6m、幅2〜2.2m、高さ2.2m
奥室長3.7m、幅22.2m、高さ2.2〜2.4m
築造時期:6世紀後半
被葬者:渡来系氏族東漢氏(一説)
被葬者について
明確な被葬者については不明ですが、立地条件やこの地域にある与楽古墳群からはミニチュア炊飯具や簪子など渡来系要素をもつ遺物が出土していることからこの地域の古墳は渡来系氏族東漢氏の墓域ではないかと考えられています。
東漢氏は檜隈寺を中心に活躍した渡来系の技術者集団で蘇我氏と共に活躍しました。
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【牽牛子塚古墳】
古墳時代末期の古墳(八角形墳)で、別名「御前塚」「あさがお塚古墳」と呼ばれています。築造年代については出土遺物等から7世紀後半頃と考えられ、被葬者は斉明天皇と間人皇女の合葬墓と考えられています。令和4年3月に整備が完了し、当時を思わせる白く美しい姿となりました。
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【越塚御門古墳】
越塚御門古墳(こしつかごもん)は7世紀後半に造られた古墳で、牽牛子塚古墳の南東側に築かれました。発掘調査の結果から一辺約10mの方墳と判明し、埋葬施設(墓室)は石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)の巨石を刳り抜いた蓋石と床石から構成されています。
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アクセス
<住所> 奈良県高市郡明日香村
<駐車場> なし
電車でお越しの場合
近鉄吉野線飛鳥駅より徒歩15分