越塚御門古墳
越塚御門古墳
越塚御門古墳(こしつかごもん)は7世紀後半に造られた古墳で、牽牛子塚古墳(けんごしづか)の南東側に築かれました。発掘調査の結果から一辺約10mの方墳と判明し、埋葬施設(墓室)は石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)の巨石を刳り抜いた蓋石と床石から構成されています。
【古墳データ】
規模:一辺約10m
形状:方墳
内部施設規模:幅0.95m、高さ0.6m、長さ2.36m
築造時期:7世紀後半
被葬者:大田皇女(一説)
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発見の経緯
2010年10月、牽牛子塚古墳周辺の発掘現場を埋め戻す最中、明日香村教育委員会の技師である西光慎治氏は、古墳の南東約20mに埋まっていた1メートルほどの石に人為的に割れた痕跡があったため、その周辺を発掘したことが発見に繋がりました。
被葬者について
『日本書紀』には天智天皇6年、667年に、「斉明天皇と間人皇女を合葬した陵の前に、大田皇女を埋葬した」と記載されています。宮内庁が指定する大田皇女陵は高市郡高取町ありますが、発掘調査の結果や文献などから、越塚御門古墳の被葬者は大田皇女と考える説が有力です。
ただし現段階(令和4年3月)で宮内庁は大田皇女の陵墓とする指定を変更する姿勢を見せていません。理由として、『日本書紀』の「中大兄皇子が石槨を造る労役を民に課さなかった」という記述と一致しないためとしています。
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アクセス
<住所> 奈良県高市郡明日香村越131
<見学料> 無料
<見学時間> 24時間可能
<駐車場> 現地駐車場なし(道の駅飛鳥駅、またはアグリステーション飛鳥の駐車場は可)
電車でお越しの場合
近鉄吉野線・飛鳥駅から徒歩15分