高林寺



高林寺

高林寺は奈良時代の中将姫伝説で知られる中将姫の父、右大臣・藤原豊成の菩提所です。境内には豊成の古墳があり、本堂には豊成と中将姫の木像が安置されています。東大寺三昧堂(四月堂)旧本尊の千手観音像は、かつて高林寺本尊であったとされています。

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高林寺

由緒

創建年は不明ですが、奈良時代の宝亀年間に藤原魚名の娘が中将姫に仕え尼となり、現高御門町の居室を尼寺となし、右大臣藤原豊成卿・中将姫 屋敷跡・元興寺塔頭「高坊」として古墳を護ってきました。

しかし、治承4年(1180年)に平重衡の南都焼討によって焼失しました。東大寺三昧堂旧本尊の千手観音像(現在は東大寺ミュージアム蔵)は、かつて当寺の本尊であったとされています。

安土桃山時代になり、ここに「高坊一族」又は地形を名とした「北の端」と称する茶人・連歌師・医師竹田一族ら数寄者が住みつき、茶道・連歌等を大いに興隆し、奈良南の下町町民文化の一大中心地として大いに発展しました。

北の端宗棟(そうとう)・里村紹巴(じょうは)・高坊心前(しんぜん)らが住しました。心前は松永久秀が多聞城築城に際し、中将姫父子の碑を持ち去ろうとしましたが、「曳き残す花や秋咲く石の竹」と詠んで久秀に差し出し危うく難を免れたと伝えられます。

高坊は天正二年三月、堺の大宗匠津田宗及に招かれて「天王寺屋会記」に名を残し、「松屋会記」や北野大茶会にも奈良茶人三十六人衆の一人として参加しています。(文学博士永島福太郎先生の考証による)これらを顕彰して、昭和63年「茶室高坊」が建立されました。扁額も永島先生により、天王寺屋会記より宗及自筆の高坊・花押を採拾して作製掲額されています。

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東大寺ミュージアム



藤原豊成の古墳

本堂前には中将姫の父、右大臣・藤原豊成の古墳(円墳)があります。

藤原豊成(704-766)

奈良時代の政治家。慶雲(きょううん)元年生まれ。南家藤原武智麻呂の長男で母は阿倍御主人の孫娘にあたります。天平9年(737)父と叔父の病死により参議となり、天平感宝元年(749)右大臣になります。弟藤原仲麻呂の勢力におされ、橘奈良麻呂の変により左遷されましたが、仲麻呂の失脚で右大臣に復し従一位となりました。天平神護元年11月27日死去。享年62歳。

茶室高坊

茶室高坊

安土・桃山時代に奈良茶人「高坊一族」が住み、茶道を大いに興隆し、奈良南の下町町民文化の一大中心地として大いに発展しました。茶室「高坊」はこれを顕彰するために建てられました。

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称念寺



アクセス

<住所> 奈良県奈良市井上町32

<電話> 0742-22-0678

<駐車場> 無料駐車場あり(1台)

電車・バスで起こしの場合
R奈良駅、近鉄奈良駅から市内循環バス「田中町」下車、徒歩3分



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