一乗院宮墓地(喜光寺)



一乗院宮墓地

あまり知られてはいませんが、喜光寺の境内にある一乗院宮墓地です。五輪塔と宝篋印塔の、混在型の変形宝筺印塔形が4基建ちます。古墳ではなく江戸時代の墓地です。被葬者は4人の合同墓地であり、東大寺境内にも同名の一乗院墓地があります。

東大寺の一乗院墓地はこちら↓↓

一乗院宮墓地(東大寺)

被葬者一覧

【尊賞親王(霊元天皇皇子)
元禄12年(1700) – 延享3年(1746)

霊元天皇の第十四皇子で、母は藤式部です。8歳で興福寺一乗院にて出家し、正徳4年(1714年)〜元文2年(1737年)まで別当を務めています。

【尊映親王(霊元天皇皇孫)
寛延元年(1748)年~寛政5年(1794)

家仁親王の第3皇子で桃園天皇の猶子です。8歳で興福寺一乗院にて出家し、その後別当をつとめました。

【尊誠親王(後伏見天皇十八世皇孫)
文化3年(1806)~文政6年(1822)

伏見宮貞敬親王の第四王子で、母は家女房の入江誠子です。2歳で一乗院の継承が決定され、その後、光格天皇・勸修寺婧子の猶子となりました。しかし僅か17歳で急死しました。

【尊常親王(後伏見天皇十八世皇孫)
文政元年(1818)~天保7年(1836)

伏見宮貞敬親王の第八王子で、母は一条輝子です。誕生直後の文政元年8月に光格天皇・勸修寺婧子の養子となり、5歳で一乗院門跡である尊誠法親王の後継者に選ばれ、15歳で出家するも19歳で急死しました。



近くのおすすめスポット

【喜光寺】

当墓地に隣接する行基菩薩ゆかりの寺です。古くは「菅原寺」と呼ばれていましたが、聖武天皇より「喜光寺」の寺号を賜りました。東大寺造営に当たり、喜光寺の本堂を参考にされたという伝承から「試みの大仏殿」とよばれています。

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喜光寺

【菅原天満宮】

日本最古の天満宮とされる菅原天満宮です。街中にひっそりと佇んでいる古社は菅原道真公の神徳にあやかり、学徳成就の祈願は言うまでもなく、文筆にいそしむ人々の信仰も厚く、境内には珍しい「筆塚」があります。

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菅原天満宮

アクセス

<住所> 奈良県奈良市菅原町534−2

<駐車場> 無料駐車場あり(喜光寺)

電車・バスでお越しの場合
近鉄橿原線 尼ヶ辻駅より徒歩10分
近鉄奈良線 大和西大寺駅より徒歩20分



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