大坂山口神社(穴虫)



大坂山口神社

式内社大坂山口神社は、古代大坂越えの大和から河内に至る入口に位置し、近世では長尾街道に面する交通の要衝に鎮座されます。社名に大坂と記載されていますが、住所は奈良県香芝市にあたります。また、当社では相撲関連地として知られ、多くの相撲ファンが訪れます。(後述)

また式内社大坂山口神社は、当社と付近に逢坂のニヶ所に所在し、ともに式内社と称しています。

大坂山口神社(逢坂)についてはこちら↓↓

大坂山口神社(逢坂)

歴史・御祭神

当社の歴史は『日本書紀』によると、崇神天皇九年三月(380)、国中に疫病が蔓延したため天皇は悩まれていたある夜、夢に神人が現われて、「赤盾八枚、赤矛八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大坂の神を祀れ」と告げられました。天皇はその教えどおりに祀られたところ、疫病は平癒し天下泰平となったとされました。

大坂の神とは当社の御祭神、または逢坂の山口神社の御祭神とする2説存在します。

近世の『大和志』には、「在穴蒸村 今称牛頭天王」とみえ、牛頭天王社(祇園宮)と称されていました。

御祭神・大山祗命・須佐之男命・天児屋根命



境内の様子

境内には本殿の他に琴平神社・市杵嶋神社が摂社として祀られています。

【本殿】

本殿は三間社流造の銅板葺きで、文化十三年(1816)の再建とされますが、寛永ニ年(1625)以来の棟札が残されています。拝殿は間口五間、奥行ニ間の割拝殿で、棟札によると延享元年(1744)の再建になります。平成元年三月には、本殿屋根を銅板葺きに改修、あわせて拝殿脇殿、上段の塀、手水舎などが新築されています。

【摂社】社名が書かれておらず、どちらが琴平神社・市杵嶋神社かは不明



相撲関連の地

秋の大祭には、牛頭天王に奉納する宮相撲が行われ、「馬場のお宮さんの相撲」といい、相当な賑わいであったといわれています。拝殿には、文久2年(1862)や明治19年(1886)の奉納板番付があり、境内には馬場組記念碑や石垣を組んだ桟敷席があり、近年まで土俵も残されていました。大阪相撲で活躍した地元出身の力士、大の松為次郎は大正4年(1915)境内で引退相撲を行っています。

また、近世以降、当麻・勝根・鎌田・五位堂・良福寺など、村名を冠した相撲組が『竹園日記』などにみえ、周辺の墓地には古い力士墓があります。二上山麓の村々では相撲が大変盛んであったことがわかります。

近くのおすすめスポット

【大の松為次郎の墓碑】

当社のほど近くに穴田の出身力士、大の松為次郎(本名:吉田英蔵)の墓があります。香芝市や隣の葛城市では相撲発祥の地として多くの相撲ファンが訪れており、大の松為次郎の墓碑も相撲関連地として訪れる方がいます。

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大の松為次郎の墓碑

【相撲発祥の地『腰折田』】

この地は當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が力比べをを行ったとされる「腰折田」の伝承の地で、付近には両人がまわしを締めたところ、まわしを洗ったところとも伝えられる「まわし池」もあります。

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相撲発祥の地『腰折田』



アクセス

<住所> 奈良県香芝市穴虫1499-1

<駐車場> あり(3台:出入口は境内北側)

電車でお越しの場合
近鉄大阪線「二上駅」下車、南西へ徒歩約4分



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