入鹿神社
入鹿神社
全国で唯一逆臣と言われた蘇我入鹿を祀る神社です。飛鳥時代には当社あたりは蘇我氏の領地で、この地に蘇我入鹿の母の館があったとか、母がこの地の出身で蘇我入鹿が幼少期この地ですごしたのではないかとも言われています。
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由緒・御祭神
創建年は不明ですが、現在は廃寺の普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社であったと伝えられます。
当社の御祭神が素盞鳴尊のため、かつては印度舎衛国にあった祇園精舎の守護神の習合として牛頭天王社と称されたこともありました。 入鹿神社の社名については、明治22年に橿原神宮が造営されるにあたりに、皇国史観に基づいて神武天皇を祀る橿原神宮の近くに、逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、祭神をスサノオに、社名を地名からとった「小綱神社」に改めるように政府から言われたが、地元住民はそれを拒んだと伝わります。
また日本書紀に基づいた「蘇我氏逆臣説」が日本史に通説となっていた時代も含めて地元の人々から「蘇我入鹿公」と公を付けて崇敬を集めています。
御祭神:素盞鳴命・蘇我入鹿
蘇我入鹿
拝殿に祀られる入鹿公御神体(レプリカ)
蘇我 入鹿 (推古天皇19年(611)?〜皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)
蘇我入鹿は、飛鳥時代の豪族で蘇我蝦夷の子にあたります。父・蝦夷から大臣の地位を継承し、国政に携わります。聖徳太子と共に政治を行いましたが、太子の死後、古人大兄皇子を次期大王とするため、643年、山背大兄王を斑鳩に攻め滅ぼしました。
645年、中大兄皇子・中臣鎌足(藤原鎌足)らに、斬り殺され、これが大化の改新の始まりとなります。
入鹿神社伝説
神社の伝えによると、 乙巳の変(645年6月12日)で蘇我入鹿公が飛鳥板蓋宮で中大兄皇子や中臣鎌足らに倒された頃、小綱町は隣町の曽我町(蘇我氏の祖神を祀るとされる宗我坐宗我都比古神社がある)の領地だったので、蘇我入鹿公は入鹿神社あたりで幼少期を過ごした家があったとか、入鹿の母が身を寄せた家があったなどと伝わる蘇我氏とはゆかりの深い一帯です。
しかし地元には乙巳の変で蘇我入鹿が首をはねられて、入鹿神社に飛んできたと言う伝承はありません。 また、蘇我入鹿が鶏鳴を合図に首をはねられたので、昔は小綱では鶏を飼わなかったとか、小綱で生れたものは蘇我入鹿を暗殺した中臣鎌足を祀る多武峯へ参ると腹痛が起るとか、明日香村小原は中臣鎌足の母の出生地だということで小綱町と小原は縁組みしない等、他にも多くの伝説があります。
境内の様子
【本殿】市指定文化財
本殿は一間社春日造で、神舎は丸柱、柱上に三斗を組み、背面を除く頭貫桁間に中世風の面影を残す蟇股を置きます。中央蛙股肘木の中に丹精に彩色された彫刻が施され、屋根は桧皮葺で、棟は箱棟に千木、かつお木を取り付けた江戸初期の頃の建物です。
【末社】
本殿の左側に末社が祀られています。向かって左から
稲荷神社・八幡神社・秋葉神社となっています。
年中行事
1月1日 10時〜 | 年始祭 |
1月14日 15時〜 | 大とんど |
9月1日〜30日 | 鈴虫の鳴く夕べ |
10月第2土曜日 夕刻〜 | ローソク1本 |
こども相撲 | |
10月第2土曜日、日曜日 | 秋祭り |
近くのおすすめスポット
【正蓮寺大日堂】
境内に隣接する正蓮寺大日堂です。現在は廃寺の仏起山普賢寺の本堂で、堂内の本尊・大日如来坐像と共に重要文化財に指定されています。堂内には全国でも10数例しかない猫が描かれた涅槃図を掲示しています。基本的に無住ですので拝観は行事の際を除き予約制です。
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【三寳大荒神社】
「三寶大荒神」は笠山荒神社、立里荒神社に並ぶ「奈良県の三大荒神」の一つで、火よけ・交通安全を願う神社です。毎年6月28日に行われる例祭「すももの荒神さん」でも知られます。
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【人麿神社】
人麿(ひとまろ)神社は、万葉歌人で三十六歌仙である柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)を祭神とする神社です。境内には柿本人麻呂の歌碑があります。
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アクセス
<住所> 奈良県橿原市小綱町335番地
<拝観料> 境内無料
<拝観時間> 自由
<HP> http://dainichido.net/index.html
<駐車場> 無料駐車場あり(正蓮寺と兼用 5台ほど)
電車でお越しの場合
近鉄大和八木駅下車、南出口より西に徒歩9分