元興寺
世界遺産「古都奈良の文化財」の一つ元興寺は蘇我馬子が6世紀末、日本最古の寺院「法興寺(飛鳥寺)」が平城遷都に伴って718年に法興寺は現在の地に移転し元興寺と改めました。奈良時代には興福寺・東大寺と並ぶほどの寺域を誇っていました(現在のなら町ほぼ全域)が衰退し、現在ではその殆どを失いました。曼荼羅を本尊とする珍しい寺院でもあります。
現在元興寺は他に「塔跡」「小塔院跡」が存在しています。
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元興寺の歴史
元興寺の創建は飛鳥時代に遡ります。蘇我馬子が6世紀末、飛鳥に建立した日本最古の本格的寺院「法興寺(飛鳥寺)」の後進にあたります。平城京遷都に伴い、飛鳥にあった薬師寺、厩坂寺(現・興福寺)、大官大寺(現・大安寺)などは新都へ移転しました。法興寺は養老2年(718年)平城京へ移転しましたが、飛鳥の法興寺も廃止はされずに元の場所に残り、飛鳥大仏を本尊とする飛鳥寺となり現在に至ります。奈良時代の元興寺は東大寺、興福寺と並び南都七大寺の一つとして栄えました。現在のならまち一帯は元興寺の境内と考えられています。しかし都が平安京に遷都してからは衰退の一途を辿り今ではそのほとんどの寺域を失いました。
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極楽堂(本堂)
極楽堂(国宝)鎌倉時代
東室南階大房(僧坊)の三房(室)分を寄棟造、本瓦葺六間四面の聖堂に改造されたもの、僧坊の一室(極楽坊)の身舎部を内陣とし、東妻を正面として前面向拝とした鎌倉時代新和様の堂々たる建造物です。
奈良時代の往生人智光、礼光両法師の禅室として、また、百日念仏講衆の往生極楽院として極楽堂、智光法師感得の浄土曼荼羅が祀られたので曼荼羅堂とも呼ばれました。
本尊 智光曼荼羅
智光曼荼羅(重要文化財)室町時代
奈良時代の元興寺学僧智光が感得したと伝える阿弥陀浄土変相の一種で、浄土三曼荼羅の一つとされています。原本は宝徳3 (1451) 年に焼失しましたが小画面であったらしく、現存する板絵本 (鎌倉時代前期) や、この厨子入り絹本着色本などの転写本によれば、宝楼閣と宝池に囲まれた阿弥陀三尊を中心とする18の聖衆のほか、手前宝池上に6舞楽菩薩、2比丘を配する比較的簡略な構成です。宝池の左右橋上に2比丘を置くのがこの曼荼羅の特徴です。
法輪館
極楽堂横にある元興寺の宝物を展示する建物です。館内には国宝・五重小塔(後述)をはじめ、阿弥陀如来像(重文)、聖徳太子立像(重要文化財)など文化財に指定された貴重な品々が展示されています。
こちらでグッズの販売や特別展なども開催されています。
【五重小塔】
五重小塔(国宝)奈良時代 高さ約5.5m
光明皇后の発願により建立された元興寺西小塔堂に安置されていたとされ、現存する奈良時代盛期の五重塔としては唯一のものとして有名です。軸部は等間隔三間で、初層から上に従って三寸ずつ低減しています。細部まで本格的な建築物であり、国分寺の塔の十分の一の本様(雛形)であろうという意見もあります。近代を迎えるまでは、極楽堂の床を落として収蔵していたといわれています。
元興寺の瓦
元興寺では飛鳥時代(法興寺創建)の古式瓦を伝えています。法隆寺玉虫厨子の屋根表現はこの丸瓦を意識しています。画像の中心部分の色が変わっているところが飛鳥時代の瓦です。平城遷都に伴い、飛鳥寺も718年にこの地に移り寺名を法興寺から元興寺に改めました。その際法興寺で使用されていた瓦がこちらで再利用されました。
【国宝禅室 屋根裏探検】
平成10年の「平城遷都1300年」に実施し、好評を博して以来の8年ぶりの企画。日頃は非公開の国宝禅室の屋根裏に上がり、ヘルメットを着用し懐中電灯を片手に建築構造や部材などを見学します。
開催期間など詳しくはこちら(開催期間終了)
かえる石
大坂城のかえる石です。河内の川べりにあった殺生石でしたが太閤秀吉が気に入り大坂城に運び込まれました。淀君の霊がこもっているとも伝えられます。その後元興寺に移され極楽堂(本堂)に向かって安置されました。福かえる、無事かえるの名石として、毎年7月7日に供養されます。
浮図田
境内にある2500基の石塔・石仏を総称して浮図田(ふとでん)と呼びます。浮図田は寺内および周辺地域から集まったものです。鎌倉時代から江戸時代にかけてのものが多く、当寺や興福寺の人々、近在の人達が浄土往生を願って建てた石仏供養塔です。
閼伽棚
閼伽棚
二月堂前の閼伽井屋
鎌倉時代に造られた閼伽棚(あかだな)は、本堂に付随して国宝に指定されています。閼伽とは、仏教において仏前などに供養される水のことで、功徳水とも訳されます。閼伽を供える棚を「閼伽棚」と呼ばれています。同じ名である東大寺二月堂の閼伽井屋は修二会(お水取り)の井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式で使われます。
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小子房(極楽院旧庫裏)
奈良時代の東室南階大坊には北側に梁間の狭い小子房が隣接していました。僧坊が中世に書院化すると、小子房は北の厨房となりました。寛文3年(1663)現在の形に改修され台所と呼ばれ、極楽院庫裏として昨日しました。昭和40年(1965)に境内整備のため現在地に移築されました。また裏には美しい日本庭園が広がります。
礎石
境内西側で平成10年(1998)に発掘されたもので、本来の位置は保っていませんでしたが出土場所や礎石の規模から講堂に使用されていたと考えられています。
創建当初の講堂は間口十一間で丈六薬師如来像を本尊とし、新薬師寺と同様の等身の十二神将像が安置されていたと伝わります。
彼岸花と萩
元興寺は彼岸花と萩の名所として知られます。極楽堂を取り囲むように咲く萩、浮図田(ふとでん)を中心に咲く彼岸花に毎年開花時期には多くの人が訪れます。
開花時期:9月中旬〜下旬
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元興神
元興寺の鐘楼に悪霊の変化である鬼が出て、都の人たちを随分こわがらせたことがあります。その頃、尾張国から雷の申し子である大力の童子が入寺し、この鬼の毛髪をはぎとって退治したという有名な説話があります。この話から、邪悪な鬼を退治する雷を神格化して、八雷神とか元興神と称することになり、鬼のような姿で表現するようになりました。元興寺にまつわる鬼のことをガゴゼとかガゴジとかガンゴなどの発音で呼ばれ、日本全国にも伝わっているようです。
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年中行事
1月1日 | 修正会 |
2月3日 | 節分会 |
3月春分の日 | 春季彼岸会 |
5月8日 | 花まつり |
5月27日 | 中興開山忌 |
7月7日 | かえる石供養 |
7月28日 | 肘塚不動尊供養 |
8月23・24日 | 地蔵会万燈供養 |
9月秋分の日 | 秋季彼岸会 |
10月28日 | 幽玄忌茶会 |
10月末〜11月初旬 | 秋季特別展 |
12月8日 | 佛足石供養 |
毎月第2日曜 | 是心会 |
毎月28日 | 御祈祷護摩 |
節分会
波切不動明王立像と宝山寺湛海不動明王坐像を本堂内陣に遷座し、年越しの除厄、家内安全、心願成就を祈願する行事です。境内では、導師と行者衆による星祭・厄除け・招福祈願の柴燈大護摩供と火渡り修行が行われ、その後舞台では、年男・年女によって豆まきが行われます。
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地蔵会
元興寺地蔵会は、昭和23年(1948)に復興された宗教行事で、曼荼羅堂に掲げられる各界知名士奉納の行燈絵などが初志の行事を今に伝えます。現在の灯明を点じての供養は、昭和63年(1988)、浮図田の整備とともに、その作法として発意したものです。
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近くのおすすめスポット
【御霊神社】
ならまちはかつて元興寺の境内であったため御霊神社も史書によれば元興寺御霊神社とも呼ばれていました。近年では恋愛成就の神社として人気のスポットです。
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【春日庵】
明治三十年の創業以来「さつま焼」一筋のほほえましく「わび」「さび」の風情が愛され茶席にも好んで用いられている和菓子です。2階では茶房もしており、さつま焼きやわらび餅、カキ氷などをすぐ横の元興寺を眺めながらいただくことができます。
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アクセス
<住所> 奈良県奈良市中院町11
<電話> 0742-23-1377
<拝観時間> 9:00〜17:00
<拝観料> 大人:600円 中高生:300円 小学生:100円
<駐車場> 無料駐車場あり(2月2日・3日、8月23日・24日は利用不可)
電車・バスでお越しの方へ
近鉄奈良駅から徒歩15分、またはJR奈良駅徒歩20分