中宮寺



中宮寺

本堂

法隆寺夢殿の横にあるのが中宮寺です。当寺の国宝・菩薩半跏像はあまりにも有名です。また大和三門跡寺院の一つでもあります。現在でこそ小さな寺院ですが、創建時は現在地より少し離れたところにあり「四天王寺式伽藍」の大寺院でした。

御朱印はこちら→中宮寺御朱印

歴史

中宮寺から見える夢殿

中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建されました。

その後、平安時代には衰退し、僅かに草堂一宇を残して本尊様のみ居ますといった状態でしたが、鎌倉時代に入って信如比丘尼の尽力により、天寿国曼荼羅を法隆寺法蔵内に発見して中宮寺に取り戻すなど、いくらか復興を見たものの、往時の盛大には比すべくもありませんでした。

ところが、戦国時代に入って火災に会い、法隆寺東院の山内子院に避難し、そのまま住み着いていたところ、後伏見天皇八世の皇孫尊智女王(慶長七年薨)が御住職遊ばされ、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが今の中宮寺です。



菩薩半跏像

木造菩薩半跏像(国宝)

像高:132cm、飛鳥時代

飛鳥時代の彫刻の最高傑作とされ、広隆寺(京都府)の弥勒菩薩半跏像と日本の二大半跏像として知られます。寺伝では如意輪観音とされていますが、半跏像は一般的に弥勒菩薩像であることから本来は弥勒菩薩像だという説もあります。アルカイックスマイルの典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。当初は彩色され、別製の装身具を付けていたと考えられています。

天寿国繡帳

天寿国繡帳(国宝)

紫羅地・紫平絹地 部分刺繡 縦88.8cm 横82.7cm
飛鳥時代(7世紀)

聖徳太子が亡くなり、お妃の一人である橘大郎女が太子の往生した世界を繡帳にすることを推古天皇に願い出、天皇が采女たちに刺繡させたのが天寿国繡帳です。現在は中宮寺に所蔵されています。刺繡糸の美しい部分と色あせた部分がはっきりしていますが、これは飛鳥時代と修復された鎌倉時代の刺繡片によるものです。現在は奈良国立博物館に委託




史跡 中宮寺跡

現在の中宮寺のあるところは江戸時代のはじめに移ったところで、創建時は現在地より400mほど離れた地に建立されました。移転後は境内の大半が農地となり、礎石のある土壇を残す以外は見る影も無い状態になっています。2018年より整備され中宮寺史跡公園としてオープンしました。

詳しくは→中宮寺跡

石碑と土壇

礎石

アクセス

<住所> 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2

<電話> 0745-75-2106

<入山時間>
10/1~3/20: 9時~16時(受付~15時45分)
3/21~9/30: 9時~16時30分(受付~16時15分)

<拝観料> 大人600円・中学生450円・小学生300円 ※法隆寺参拝の方は割引あり

<駐車場> 近隣に民間の駐車場あり

電車をご利用の場合
JR法隆寺駅から法隆寺門前行きバス終点下車徒歩8分
近鉄筒井駅から王寺駅行きバス「中宮寺前」下車徒歩5分




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