東大寺の礎石
東大寺の礎石
東大寺には大仏殿や二月堂など多くのお堂がありますが、一部では堂跡(礎石)だけになっているところも多数あります。
今回はそんなちょっとディープな東大寺の礎石の一部を紹介します。
【大講堂跡】
大仏殿の裏側(北側)にかつて存在した大講堂跡です。現在は礎石だけとなっており、広場のようになっていますが、その規模は幅60mほどになり、大仏殿に匹敵する大きさでした。
興福寺や唐招提寺、薬師寺(再建)では講堂が現在も建立しており、僧侶たちが論議や研究を行う施設として使われています。東大寺の大講堂は天平8年(756)に完成したとされており、千手観音像を本尊とし、脇侍の虚空菩薩、地蔵菩薩が在ったことが「東大寺要録」に記されています。
余談ですが、この地蔵菩薩は天平19年(747)光明皇后が発願され作られた「日本初の地蔵菩薩」だったとされています。
しかし平安時代末期の南都焼き討ちなど3度にわたる焼失により、室町時代の永正5年(1508)の焼失以降今日まで再建されていません。
また付近には東室・北室・西室など僧坊が存在していましたが、こちらも同時期に焼失し、以降は再建されていません。
【東塔跡】
【西塔跡】
東塔の対となる西塔跡です。こちらは東大寺ミュージアムの西側にあります。
東塔とほぼ同時期に完成したとされており、東塔と同様に七重塔であったとされています。
西塔は承平4年(934)に焼失。その後復興が計画されますが、工事途上の長保2年(1000)再び焼失、以後は再建されませんでした。また東塔とは違い、現在進行形で調査が進んでいるわけではなく、関係者駐車場の奥に存在するため再建されるとしても遠い未来かもしれませんね・・・
【西大門跡】
奈良県庁の東側にある西大門跡です。
東大寺の門といえば「南大門」「転害門」が有名ですが、こちらもぜひ知っていただきたい門です。
天正11年(1583年)風で倒壊。南大門より大きくかつては東大寺最大の門でした。また、西大門に据えつけられていた東大寺の正式名称を示す「金光明四天王護国之寺」と記された扁額は、東大寺ミュージアムで展示されています。
東大寺について
世界遺産「古都奈良の文化財」として登録されている華厳宗総本山の東大寺です。「奈良の大仏さん」と親しまれた盧舎那仏(大仏)を本尊とし、大仏を安置する金堂(大仏殿)は世界最大級の木造建築物として有名です。他には毎年3月に行われる修二会(お水取り)には多くの人が訪れます。
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東大寺の主要伽藍
東大寺の主要伽藍は各ページにて紹介しています。
大仏殿↓↓
南大門↓↓
梵鐘・大湯屋↓↓
二月堂↓↓
法華堂(三月堂)↓↓
戒壇堂・指図堂↓↓
勧進所↓↓
正倉院・転害門↓↓
近くのおすすめスポット
【手向山八幡宮】
東大寺の鎮守社として創建された神社です。すぐ隣には法華堂(三月堂)があります。百人一首では菅原道真が「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいます。毎年10月5日の転害会は多くの人が訪れます。
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【春日大社】
世界遺産「古都奈良の文化財」の一つであり、 奈良時代に平城京の守護と国民の繁栄を祈願する為に創建され藤原氏の氏神を祀ります。全国に約1000社ある春日神社の総本社であり、主祭神:武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使としています。
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【興福寺】
藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、669年に山背国山階(京都府)に創建した山階寺が当寺の起源とされています。710年に平城京に遷都した際に現在の地に移転し、興福寺の寺号となりました。
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アクセス
<住所> 奈良県奈良市雑司町406−1
<電話> 0742-22-5511
<駐車場> 民間の有料駐車場あり
自動車をご利用の場合
名神高速道「京都南IC」から京奈和自動車道経由約60分
京奈和自動車道「木津IC」から南へ約7km
第2阪奈有料道路「宝来IC」から東へ約8km
西名阪自動車道「天理IC」からR169経由北へ約10km
電車をご利用の場合
JR大和路線・近鉄奈良線「奈良駅」から市内循環バス(外回り)「大仏殿春日大社前」下車徒歩5分
または市内循環バス(外回り)「氷室神社・国立博物館」バス停下車、徒歩約5分
神戸・三宮からお越しの方(最速時間)
阪神なんば線「三宮」~近鉄奈良線「奈良駅」約80分
阪神なんば線「三宮」~近鉄奈良線「大阪難波駅」約40分
近鉄奈良線「大阪難波駅」~近鉄奈良線「奈良駅」約40分